ロックンロールジャパンの戯言 ものづくりとは、朝5時の六本木交差点である。華やかな祭りのあとにくる、けだるさの中に、人間の本質はある。その場所で深呼吸すれば、人の息づかいが聞こえる。キラキラと輝く嘘の音にだまされずに、人の本当の声を聞こう。小鳥の声とともに。 ものづくりとは、ベルトコンベアをたたき壊すことである。目の前を流れていくものを、流れていくものだと受け入れた者は腐る。流れを止めるなという誰かの声に従って、傍観する者は止まる。これが常識だという楽な流れをせき止める勇気だけが新しいものを生み出す。 ものづくりとは、自分の声を聞くことである。誰かが好きということを、好きといわなくてもいい。世界がYESということをYESと言わなくてもいい。自分には才能がないと、信じこまなくていい。才能はきっと、自分の中に眠っている。未来を変える答えは、いつも、自分の中にある。 ものづくりとは、波紋である。誰かの描く世界が、誰かの描く世界と出会い、そして新しいが世界が生まれる。世界はそうやって動いてきた。ひとりで苦しんでいるなら人と出会えばいい。それが、未来を変えていく力になると思うから。 ものづくりとは、少しエゴなぐらいの個性である。誰かの豊かさが、自分の豊かさとは限らない。誰かの美しさが、自分の美しさとは限らない。誰かの幸せが、自分の幸せとは限らない。あなたは、あなたの中に、あなただけの豊かさを持っている。 ものづくりとは、流れる川である。池の水よりも川の水が美しいのは、絶えず流れているからである。よどんではいけない。流れていよう。でも、たまに、小さな石のそばで、クルクルと回りながら、少しの間、枯れ葉と遊ぶのもいいけれど。 ものづくりとは、真理を迎えにいく作業である。決して間違ってはいけない。答えは生み出すものではなく、見つけるものである。本当の真理は、すぐ近くにあって、迎えにきてくれるのを待っている。無闇に新しいものを生み出そうと騒ぐより、答えに耳をすまそう。 ものづくりとは、機微という美しさである。何気ない時間の中に、本当の豊かさがある。何気ない会話の中に、本当の歓びがある。何気ない自然の中に、本当の未来がある。ゆっくりと世界を見れば、想像よりもキラキラとした歓びが待っている。 ものづくりとは、想像である。想像してみよう。自分が明日を楽しく生きているところを。想像してみよう。自分が世界をかえていく未来を。無限の未来を生み出す可能性は、想像からしか生まれない。 ものづくりとは、分厚い扉の向こうの地下室である。見えないからこそ、見たくなる。そして心が動く。ガラス張りの建物は、人にこれみよがしに見せるからこそ、浅い。地下室のような歓びをつくれば、誰かがどうしても見たいとやってくる。永遠にやってくる。 ものづくりとは、別れである。生み出したこどもたちはどれもかわいい。しかしその子供たちと別れないと新しい歓びはやってこない。別れを悲しむ気持ちと、別れを楽しむ気持ち。そのふたつが、新しい時代を連れてくるチカラになる。 ものづくりとは、泥水を飲む作業である。普通の人が飲みたがるきれいな水を飲まず、誰も見向きもしない水の味を知って、そこから想像できない味を生み出す作業である。きれいな水が好きなら、飲む側に回ればいい。泥水をのもうとする勇気が未来を生み出す。 ものづくりとは、白い紙に白いペンで文字を書く作業である。当たり前に考えれば見えない。それを見せるために知恵を絞る。面白く見せるのか、美しく見せるのかを考える前に、見えるようにしなければならない。その知恵を絞ることがアイデアを考える事である。 ものづくりとは、タイムスリップである。今の時代ばかりを追いかけていると心がヤラれてしまう。過去や未来に思いを馳せることが、すべての始まりである。しかし思いを馳せることしかできればければそこで終わる。必要なのは、未来を生み出すこと。過去を復活させることである。 ものづくりとは、不可解をつくることである。完璧なものに答えはない。そこに不可解なことが加わって始めて、人の興味が生まれる。しかし不可解を振り回してはいけない。不可解はスパイスである。不可解に魅了されると、人とのつながりが切れる。 ものづくりとは、光ることである。暗い時代を憂いても何も生まれない。その暗さを利用して光ることこそが、新しい時代を生み出す道しるべとなる。暗さが増せば増すほど、光は強くなる。その光を求めて、たくさんの人が集まってくるだろう。 ものづくりとは、一度塗った絵を破り捨てることである。どんな気持ちでも、どんな時間でも続けられるモノづくりはただの仕事である。気持ちが変わること、時代が変わることで、創るべきものが変わる。だからこそ、違うと思ったら、すぐに破り捨てる勇気を持とう。 ものづくりとは、死と再生である。これまでの時代を殺す。これまでの自分を殺す。これまでの作品を殺す。何かの栄光にしがみついたら、それで終わり。もし評価されたことがあるなら、それを嫌う方がいい。そうして何もなくなった平原から新しい芽を伸ばすことこそが、クリエイティブである。 ものづくりとは、評論家を蔑むことである。アイデアとアイデアをぶつけて批判するのは大いにクリエイティブである。しかし評論は何も生み出さない無駄な作業である。しかしこの評論の誘惑に負ける人は多い。自分の無能さを出さなくていいからだ。評論の誘惑に取り込まれたら、その人は、もう何も生み出せなくなる。 ものづくりとは、恥との戦いである。クリエイティブは、恥である。それを認識してこそ、新しいものを提示できる。恥とは何か?それは普通ではないことである。しかしそれこそがクリエイティブである。つまり恥を提示して、時代を切り拓く作業こそがものづくりである。 ものづくりとは、肉体の誘惑に勝つことである。怖い。眠い。悲しい。好きな人に会いたい。セックスがしたい。その誘惑よりも甘美なモノづくりをしてこそ、人が驚くほどのチカラを生む。あえて誘惑に負け続けることで、その誘惑を超える人。一切の誘惑を断ち切る人。様々な人が誘惑に勝つために生きている。 ものづくりとは、一人を動かす作業である。誰かを感動させたいという願いこそが、世界を動かすチカラを生む。一人を動かせないものは、世界はおろか、自分さえも動かせない。誰かを動かせれば、その背後には数億人が同じ思いを持つのだ。 ものづくりとは、流行を疑うことである。情報もニュースも誰かが創り出したものにすぎない。それを追いかけても誰かを追いかけることにしかならない。情報の風下に立つのは時代の先端ではない。情報の風上に立って新しい風を生み出す人だけがものをつくる資格を持つ。 ものづくりは、本当を見つける作業である。世界はウソばかりだと嘆くより、世界の真実を見つけにいこう。それはキラキラしているがとても見つけにくい場所にある。でもあきらめてはいけない。その真実を見つけた人だけが世界を変えていくことができるのだから。 ものづくりとは、嘘をつかないことである。人は世の中をスムーズに動かすために嘘をつく。人間がこれ以上苦しまないように嘘をつく。しかし、嘘は新しいアイデアを生まない。新しい時代も生まない。真実は人を苦しめる。でもそれを乗り越えようとすることだけが、新しい何かを生む力となる。 ものづくりとは、愛想笑いをやめることである。面白くないことをニコニコ眺めるより、本当に面白いことを探そう。好きじゃない人に大切な時間を費やすより、本当に好きな人に没頭しよう。流行に追いつくために様々な情報をむさぼって流行にみんなに認められるより、好きな情報を深くむさぼるバカになろう。 ものづくりは、青く夢を語ることである。実現しないと傷つくから夢を語らない人がいる。本当のことが見つからないから世界を信じない人がいる。バカにされるから本当の気持ちを歌わない人がいる。でも夢のない世界は灰色だ。だから無理しても夢をいっぱい見て、伝えなければいけないない。それが僕らの仕事である。 ものづくりとは、這いつくばることである。真実を探すことは最も辛いことである。緩やかな努力では何も見えない。真実は限界の先にある。真実は道端の草のように当たり前で、その存在に気づかない。真実を見るために努力して、倒れ、這いつくばったものだけが、その目の前にある道端の光に気づくことができる。